2008.7.14の記事(ある女性達との思い出)
これまた、むかしの思い出です。
ぼくが、長崎で仕事していた頃の話なんですが・・・
長崎は、創設者岩崎さんの三菱の街といっても過言じゃないくらい、三菱の仕事しておられる、おとうさんばっかりです。といっても、三菱の仕事のもと請け、孫請け、曾孫請け、玄孫請けというように、ほとんどが下請け会社です。
三菱重工、三菱電機と近くに並んであるんですが。
不思議なことに、この二つの兄弟会社、仲悪かったなー?
話をもどします。
たしかに、三菱さんは、長崎が発祥の地です。
坂本竜馬さんが、海援隊ってカンパニーを作られてたんですけど・・・
竜馬さんが、おなくなりになり、その海援隊を、土佐藩で、長崎の地をまかされていた後藤さんってかた・・・
あんまり人の悪口いっちゃいかんとですけど・・・
毎日のごとく、豪遊しすぎちゃって、ものすごい莫大な借金つくっちゃって、あろうことか、竜馬さんの海援隊のカンパニーを、岩崎さんに売っちゃってしまうんです。それでできたのが、三菱さん。
かたや海援隊の船の乗組員のかた達が、ニッポンの海軍の祖となるんです。
これも、余談ですが、日露戦争の海戦のとき、海軍連合艦隊、率いる東郷平八郎さんの奥さんの夢枕に白袴(しろばかま)の大男がニコって笑って立ってたそうです。
その話を聞いた、東郷さん、まだ、竜馬さんゆかりのかた、当時、いっぱいおられたそうですから、集められて、夢まくらのその、「ニコってわらった大男」のことをいろいろ聞かれたそうです。みな、一同、「坂本竜馬さんにまちがいない!」って!
そして、当時、世界最高といわれた、バルチック艦隊との海戦、みごとに勝利するんですな~!
やっぱり、竜馬さんは、すごい!
また、話を戻します。
先述のように、長崎が三菱の発祥の地にもかかわらず、いまや、本社は大都会に移ってしまいました。
そのため、予算は、長崎のほうには、よほどのことがないかぎり、ほとんどおりてきません。
先ほど述べたように、長崎のお父さん達の会社、三菱関連の仕事にたずさわれておらるんですが、ほとんど、請け負う金額が、下へ、行くにしたがって減っていき、言ってはいけないかもしれませんが、慎ましく暮されてます。
もともと、竜馬さんの会社ですよ。三菱さん!考えてやってください!
余談が、長くなっちゃった。
そうです。ぼく、長崎にも支店がある某会社に勤めていたんですが、長崎支店管内約1,000人の面倒みていてたんです。といっても、情報部門の情報関連の責任者としてですから、単んなる、その窓口というだけだったんですが・・・
直属の部下は、約20名の女性でした。
わーハーレムじゃんって思われる方、おられるとしたら、それは大きな間違いです。女性というのは、本当に怖い存在なのです。5人以上いたら必ず2つの派閥ができます。だいたい3人そろうとひとつの派閥は、簡単にできますね!20名ですよ!そりゃ、派閥間の抗争のすごいことすごいこと!
毎日のごとく、呼びだされてました。「ちょっとお話があるんですが」って。
内容きいたら、本当、いい加減、いい大人なんだから、勘弁してくれよ!って話ばっかりだったんですが、そんなことは、いえませんから、とりあえず、話をしっかりきいてやってから返すんです。
当時、その20人には表番長と裏番長がいました。表番長は、いうなら、役職者です。
裏番長は、俗にいう、もめごとのまとめ役、こわーい存在!
それで、悩みをいってきた内容に応じて、その、二名の番長のどちらかを呼び、調整させていました。
表番長とは、よく、仕事の帰りに飲みにつれて行き、毎日の仕事のストレス解消させてやってたんですが、裏番長は、主婦なもんで、そんなことはできません。
でも、宴会のたんびに、必ずぼくの横に陣取り「わー○○さん、足くさーっつ!」っていうんです。(ちなみに○○というのは、ぼくの本名です。それから注釈です。「足くさ~っつとは?」:とっても耐えられないくらい足の匂いが臭くてたまらないこと)
わざわざ、そんな足臭い男の横に、こなくってもいいのに・・・
ぼくは、よくやってました。「そんなに臭いならそばにくるな~」っていって、彼女のあたまをつかみ、僕の足を彼女の顔に向けて、「死ぬ~やめてくれ~っつ!」って、彼女がいうまで、彼女のあたま、もってたなあ。それから、いつもわいわいと楽しく宴会やってたんです。
それから、約七年間、長崎にいたんですが、福岡に転勤するということで、みんなが送別会開いてくれたんです。
わざとのごとく、楽しく!しばらくしたら、まだ、年若い女子社員が泣き出して「みなさん、哀しくないんですか~っつ!○○さんいなくなるんですよ~」って!
それでも、その子のいうこと、無視するごとく、みんな、ワイワイやってたな~!
ぼくが、涙もろいの、みんな知ってたから・・・
そして、翌日、みんなと分かれを告げ、長崎駅まで歩いていってたら、ふと、後ろから視線が・・・
気のせいかなって思いながら、気をつけていたら、後方、約30m位に、おまわりさんの尾行じゃないけど、裏番長が遠くから、つけてくるんです。気づいたけど、あえて、無視して、駅の構内から改札口に入り、鏡越しに後方をみると、壁に隠れるように、裏番長が立っていました。泣いてたな。ぼくは、知らんふりをつづけ、汽車にのりました。
それから、裏番長みたらあたま下げてました。
ぼく、たまんなくなって、席にすわって、それから、一人で泣きました。
みんな、いい子だったな~!
そんな、思い出がありました。
ぼくが、長崎で仕事していた頃の話なんですが・・・
長崎は、創設者岩崎さんの三菱の街といっても過言じゃないくらい、三菱の仕事しておられる、おとうさんばっかりです。といっても、三菱の仕事のもと請け、孫請け、曾孫請け、玄孫請けというように、ほとんどが下請け会社です。
三菱重工、三菱電機と近くに並んであるんですが。
不思議なことに、この二つの兄弟会社、仲悪かったなー?
話をもどします。
たしかに、三菱さんは、長崎が発祥の地です。
坂本竜馬さんが、海援隊ってカンパニーを作られてたんですけど・・・
竜馬さんが、おなくなりになり、その海援隊を、土佐藩で、長崎の地をまかされていた後藤さんってかた・・・
あんまり人の悪口いっちゃいかんとですけど・・・
毎日のごとく、豪遊しすぎちゃって、ものすごい莫大な借金つくっちゃって、あろうことか、竜馬さんの海援隊のカンパニーを、岩崎さんに売っちゃってしまうんです。それでできたのが、三菱さん。
かたや海援隊の船の乗組員のかた達が、ニッポンの海軍の祖となるんです。
これも、余談ですが、日露戦争の海戦のとき、海軍連合艦隊、率いる東郷平八郎さんの奥さんの夢枕に白袴(しろばかま)の大男がニコって笑って立ってたそうです。
その話を聞いた、東郷さん、まだ、竜馬さんゆかりのかた、当時、いっぱいおられたそうですから、集められて、夢まくらのその、「ニコってわらった大男」のことをいろいろ聞かれたそうです。みな、一同、「坂本竜馬さんにまちがいない!」って!
そして、当時、世界最高といわれた、バルチック艦隊との海戦、みごとに勝利するんですな~!
やっぱり、竜馬さんは、すごい!
また、話を戻します。
先述のように、長崎が三菱の発祥の地にもかかわらず、いまや、本社は大都会に移ってしまいました。
そのため、予算は、長崎のほうには、よほどのことがないかぎり、ほとんどおりてきません。
先ほど述べたように、長崎のお父さん達の会社、三菱関連の仕事にたずさわれておらるんですが、ほとんど、請け負う金額が、下へ、行くにしたがって減っていき、言ってはいけないかもしれませんが、慎ましく暮されてます。
もともと、竜馬さんの会社ですよ。三菱さん!考えてやってください!
余談が、長くなっちゃった。
そうです。ぼく、長崎にも支店がある某会社に勤めていたんですが、長崎支店管内約1,000人の面倒みていてたんです。といっても、情報部門の情報関連の責任者としてですから、単んなる、その窓口というだけだったんですが・・・
直属の部下は、約20名の女性でした。
わーハーレムじゃんって思われる方、おられるとしたら、それは大きな間違いです。女性というのは、本当に怖い存在なのです。5人以上いたら必ず2つの派閥ができます。だいたい3人そろうとひとつの派閥は、簡単にできますね!20名ですよ!そりゃ、派閥間の抗争のすごいことすごいこと!
毎日のごとく、呼びだされてました。「ちょっとお話があるんですが」って。
内容きいたら、本当、いい加減、いい大人なんだから、勘弁してくれよ!って話ばっかりだったんですが、そんなことは、いえませんから、とりあえず、話をしっかりきいてやってから返すんです。
当時、その20人には表番長と裏番長がいました。表番長は、いうなら、役職者です。
裏番長は、俗にいう、もめごとのまとめ役、こわーい存在!
それで、悩みをいってきた内容に応じて、その、二名の番長のどちらかを呼び、調整させていました。
表番長とは、よく、仕事の帰りに飲みにつれて行き、毎日の仕事のストレス解消させてやってたんですが、裏番長は、主婦なもんで、そんなことはできません。
でも、宴会のたんびに、必ずぼくの横に陣取り「わー○○さん、足くさーっつ!」っていうんです。(ちなみに○○というのは、ぼくの本名です。それから注釈です。「足くさ~っつとは?」:とっても耐えられないくらい足の匂いが臭くてたまらないこと)
わざわざ、そんな足臭い男の横に、こなくってもいいのに・・・
ぼくは、よくやってました。「そんなに臭いならそばにくるな~」っていって、彼女のあたまをつかみ、僕の足を彼女の顔に向けて、「死ぬ~やめてくれ~っつ!」って、彼女がいうまで、彼女のあたま、もってたなあ。それから、いつもわいわいと楽しく宴会やってたんです。
それから、約七年間、長崎にいたんですが、福岡に転勤するということで、みんなが送別会開いてくれたんです。
わざとのごとく、楽しく!しばらくしたら、まだ、年若い女子社員が泣き出して「みなさん、哀しくないんですか~っつ!○○さんいなくなるんですよ~」って!
それでも、その子のいうこと、無視するごとく、みんな、ワイワイやってたな~!
ぼくが、涙もろいの、みんな知ってたから・・・
そして、翌日、みんなと分かれを告げ、長崎駅まで歩いていってたら、ふと、後ろから視線が・・・
気のせいかなって思いながら、気をつけていたら、後方、約30m位に、おまわりさんの尾行じゃないけど、裏番長が遠くから、つけてくるんです。気づいたけど、あえて、無視して、駅の構内から改札口に入り、鏡越しに後方をみると、壁に隠れるように、裏番長が立っていました。泣いてたな。ぼくは、知らんふりをつづけ、汽車にのりました。
それから、裏番長みたらあたま下げてました。
ぼく、たまんなくなって、席にすわって、それから、一人で泣きました。
みんな、いい子だったな~!
そんな、思い出がありました。
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